高橋是清は主に明治終わりから昭和の初めまで活躍した官僚、政治家です。日銀総裁を勤めるなど、おもに財政家として知られており、日露戦争の軍費調達は、彼なくして成し得なかった、と言われているほどの人物でしたが、昭和12年2月26日、いわゆる226事件で暗殺された人々のひとりとなってしまいました。彼がとった政策とは「金本位制度の導入」でした。
金本位制度
金本位制度とは、通貨制度の一種で、特定の貴金属(通常は金)を基準として国の通貨の価値を固定する仕組みのことを指します。一定量の金と対応する価値の通貨が交換可能であり、通貨の価値が基準となる金の量によって決まります。
信用のおける制度
貨幣の価値は金の価格によって変動はしますが、価値は金の保有量と同等になるので、信用のおける制度として19世紀から20世紀初頭にかけて数多くの国が採用しておりました。
ただし、1971年にアメリカのニクソン大統領が演説で「ドルと金は交換しない」と宣言し、ドル金本位制が終焉しました。これをニクソンショックといいます。それ以降、固定相場制から変動相場制に移行します。
高橋是清の半生
高橋は官僚、政治家として名をなしましたが、決してエリートの出身ではありませんでした。若き日になんとかアメリカ留学に漕ぎ着けたものの、言葉の問題や人種差別により奴隷として売り払われる、そんな苦労を積んできた人物でもありました。
高橋と金本位制度
人として、国家としての力や信用をつける事にこだわるのが彼の生涯のテーマでした。彼が金本位制度に拘泥したのは当然のことであったのかもしれません。日本は明治初年から不完全な金本位制をとっていましたが、明治30年に日清戦争の賠償金を準備金として完全移行したのは、高橋の活動が大きく影響したと言われています。
中断
しかし、1914年に始まった第一次世界大戦とその戦後処理から起きた世界恐慌により、金本位制をとっていた国のほとんどは中断。日本も金の流出を防げず、大きな打撃を受けました。高橋是清はその責任を問われ、暗殺されたと見る事ができます。
金本位制度の衰退
高橋是清の功罪はともかく、その後世界的に金本位制度をとる国や政府はほぼなくなる事となりました。自らもつ金の保有量=信用というのは、シンプルで分かりやすいのですが、いざとなった時に金の流出を、避けられないのが大きな難点といえるからです。その後は、世界的に管理通貨制度に舵を切ることとなります。
管理通貨制度
管理通貨制度とは、通貨の価値を一定の範囲内で調整するために中央銀行が積極的に介入する通貨制度のことを指します。この制度では、中央銀行が外国為替市場で自国通貨を買い入れたり売却したりすることで、為替レートを一定の範囲内に維持しようとします。
浮動為替レート
この制度は浮動為替レート制度と対比されることがあります。浮動為替レート制度では、市場の需給によって為替レートが変動しますが、管理通貨制度では中央銀行が積極的に干渉し、為替相場の変動を一定の範囲内に制限しようとします。管理通貨制度は一定の安定性をもたらす可能性がありますが、一方で市場の自由な動きを制限することもあるため、長期的な持続可能性には注意が必要です。
まとめ
以上、歴史を通して金本位制度と管理通貨制度についてのお話をしてきました。なお、高橋是清は50円紙幣の肖像となっております。高橋の50円紙幣は昭和26年に発行されましたが、ほぼ同時期に発行された板垣退助の100円紙幣や岩倉具視の500円紙幣などと比べて流通枚数が少ない為、現行紙幣にもかかわらず額面以上の価値があるといわれています。ちなみに高橋の50円紙幣の裏面の図案は「日本銀行」です。